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強くなるための選択肢

世の人は口を揃えてこう言う「ゲームなんだから気楽にやろうぜ」
それは一面では正しくて、別の面では間違いとなる。
特にそれが対戦ゲームでは。
あなたは知っているだろうか?この世界にはゲームを生業として生計を立てている人がいることを。そして近年、その市場は拡大をし続けて、ある国ではプロスポーツ選手や芸能人になるより、プロゲーマーになりたいと望む子供が多いことを。そしてプロゲーム専門の学校法人が実際に存在していることを。
日本の経済ではまず起こりえない。そんな信じられないような世界がこの世には存在する。
 ゲームというものは残酷な世界だ。特にそれが対人ゲームでは。
すべての結果は数字としてはっきりと示される。0と1で構成された世界。それがゲーム。
エジソンはこう言った、「天才とは99の努力と1の才能によるものだ」と。
私は、それがエジソンなりの慈悲であり、彼の言い訳だと思った。
世の中は残酷で、弱肉強食の世界は太古の昔から依然として変わらない。
強いものが生き残り、弱いものは淘汰される。弱い遺伝子を受け継ぐものは次の世代へ子孫を残せず、強い遺伝子を持つものだけがこの世に残った。そうして作られたのが今の世界で、これからも変わりない。
天才というものは依然として天才である。
天才が持つ100の数字を凡人が10年努力して得たとしても、それは裸の天才が持つ100に並んだに過ぎない。天才が努力して150になったとき、凡人はまた努力を続けなければ天才に追いつけることはできない。
その結果、天才と凡人のレースは常に凡人が天才を追いかけるという構図を描いている。
亀がウサギを追い越せたのは「ウサギが怠けた」という理由に他ならない。
 ゲームの世界では、「それ」がよりはっきりと目に見えて現れる。
勝つ者と負ける者。絶対的な世界の中で中庸は存在しない。
才能豊かな人は、勝つ。
凡人は、負ける。
残酷な真実。
その点、MMORPGというのは誰にとっても平等だ。
時間さえかければ、誰でも一定の強さを持つことができる。
何度もレアモンスターを倒していれば、いつかはレアアイテムを手に入れることが出来る。
ではそれがない世界では?
 プロゲーマーへ、「一日何時間ゲームのトレーニングを行っていますか?」というアンケート調査が行われた。
様々な意見が出た。
一週間で8時間だけという人がいた。
反対に一日8時間は必要という者もいた。
才能があるという前提で3,4時間と答える者もいた。
要するに、サラリーマンの一日の就業時間を丸々トレーニングに費やすようなものだった。
 プロゲーマーは別格だ。
では我々、凡人はどうやって強くなればいいのだろうか?
彼らほど才能もなく、精神的にも強くなく、ゲームへの深い理解もなく、トレーニングに割く時間もない我々は。
やるからには勝ちたい。
負けて不快な思いはしたくない。
誰だってそうさ。
それが人間ってもんだろう?
 強いキャラクター、あるいは強い選択肢を選べばいい。それが最適解。
イージーに強い。そんなキャラクターがいればいいと思った。
けれど対戦ゲームでは平等性が尊ばれる。
AI相手に俺TUEEEEできればいいゲームとはワケが違う。
一番いいのは自分が好きなキャラクターで、それが自分に一番合うということだ。
負けても自分の腕のせいだと素直に認識して、誰にも愚痴をこぼさない。誰にも言い訳できない自分の弱さが一見して分かる選択。
自分の好きなタイプが、自分に合うとは限らない。
また自分の好きなタイプが必ずしも自分に合った選択肢とは言えない。
例えば私の場合、キャラクターセレクトでは遠距離でバスバス撃ち合うタイプを好むが、中の人の性格は極めて脳筋で気がつくと四面楚歌なことが多い。これは最悪の事例。自分の体と頭が一致していないため、100%の実力が出せない。従って強くなることは出来ない。
 人は言う。「それでも自分の好きなことをやっているんだからいいじゃない」
勝つためのゲームと、楽しむゲームは違う。少なくとも私にとっては。
楽しむためのゲームではそれが許されても、勝つためのゲームではそれが許されない。
これまで何度弱音を吐いた?
何回、自分のキャラクターが弱いと愚痴をこぼした?
自分がキャラクターの性能を100%生かせず、スペックを殺したくせに、他人のせいにしてきたことが何度ある?
何かのせいにする前に自分を疑え。
それが自分にとっての最良の選択肢だったのか、否か。
いらないものを捨てた先に得られる勝利の代償。
誰だってプロゲーマーになれるもんさ。簡単に。
そうして簡単にプロゲーマーをやめられる。
僕らには選択肢がある。

NONFIX -プロゲーマーを目指す若者たち-

 昨夜、というと日付の関係上若干違うと思うのですが、5/1 AM 2:27-3:37のフジでプロゲーマーを目指す若者たちという番組をやっていました。2chの実況スレでは「きもい☆」「頭おかしいんじゃねーの」という意見が大半だったらしく、また一般的な世論としては当然ですね。
 あの番組放送を見ていて、やっぱりe-Sportsって若者文化だなぁと改めて実感しました。ビジネスチャンスとしては国内ではまだ可能性のある部類に含まれると思いますが、如何せん世論が動きませんからねぇ。ただe-Sportsを盛り上げようとしている企画者にはがんばってほしいなと影ながら応援したいです。まだ日本ではパソコンやゲームなどのITを趣味に持つ人は他者からの理解を得るのが難しいので、その存在を認められないのですがこの番組がきっかけで次は11時のニュースのドキュメンタリー枠にでも放送されれば一気に認知度というのは高まるでしょうね。
 ただ、現在の日本ではプロゲーマーになるより普通のサラリーマンになるほうがよっぽどコストパフォーマンスというか、時間対効果が高いので少なくともあと5年10年はかかる長期的な話だろうとは思いますが。ちなみに韓国では小学生の将来の夢Top3にプロゲーマーというのが入っているという話をいつか聞いたことがあります。もともとゲームというものにはマリオを始め日本人は慣れ親しんでいるので、ある程度広まればあとはオートマチックに広まっていくものだとは思います。
 残念に思えるのは、放送を見ていてプレイヤーの人格面が、年齢層がやはり思春期後期ということもあって形成されていないように思えました。遊びでゲームをやるのと、ゲームで飯を食っていくことは全くの別物であるし、何となく勢いだけでやってる感が終始漂っているように感じられました。ただ、その勢いだけであそこまでやる若さ故の情熱というか熱意といったものは肯定的に受け止めるべきですね。まだ日本ではプレイヤーも周囲も、e-Sportsのプロゲーマーという側面では熟されていないのかもしれません。その辺のことはよく知らないので勘弁してください。
 とりあえず、
プロゲーマー=
きもいwww
という一般的な認識から
プロゲーマー=
さすがプロゲーマーッ!!俺たちができないことを平然とやってのけるッ!
そこがシビれるッ!!憧れるゥゥ!!!
になればいいかなと何となく。
え?最後の一文を言いたかっただけだろって?
あながち間違いじゃあないッ!