スキルベースのゲームに関する弊害

 先の記事で最後に触れた通り、スキルベースのゲームでは全ての責任は自己に帰属します。ただ、このことを理解せずスキルベースのゲームは素晴らしいと説いて周る人がいますが、あれは間違いだと思います。
 「MMOGは時間をかけた廃人ばかりが得をして毎日残業してる俺たちはいつも2番目だ」、「ただ時間をかければいいゲームなんてツマラナイ」と言う人の言い分も理解はできます。他人より劣って平静でいられる人間というのは少ないもので、大抵の人は人の本能として他者より強く、他者より先へ、他者より上へといった競争心があるものです。故に人間社会、資本主義社会というのは成り立っているわけなんですが、そんな事はここでは置いておいて。どうしてただ時間をかければいいゲームが一番楽なんだということに気づかないんでしょう。
 頭も体も要りません。ただ画面の前に座って時間をかければいいわけです。思考もせず、ただ同じルーチンワークをひたすら繰り返すだけの一次産業的な最も原始的で最も最低動作基準の低いこの方式を低レベルなゲームだ、と言うことは人類の過去を「あれは知的/文明レベルの低い労働手段だった」と解することになります。確かに、人類の過去の歴史として第三次産業が大きく社会進出し始めた頃、そして第三次産業が産業の中心となりつつある現代日本で一次産業というのは日陰になってしまっています。しかし一次産業は、社会の最も底辺を支える土台として最も重要な位置を担っています・・・と話が破綻していますね。
 話はゲームに戻して、このようなスキルベースのゲームは希望だけではありません。人によってPing値が違うことから「アイツはラグが酷いから一緒にプレイすると迷惑になる」ということも起こりえます。その上、機能面だけならまだマシです。「アイツはスキルがないから一緒にはやらない」といった問題が起こるでしょう。スキルベースゲームというのは誰もが対等という奇麗事があるからこそ、対等な条件でプレイヤースキルのない人間、学習能力のない人間というものは嫌われていきます。一度RTSやFPSで真剣にプレイして屈辱を味わうと分かります。
 日本人は表面上は曖昧にして本音を覆い隠し個より和を尊重する傾向が高い民族なので、日本人間では特に表立って何か言われることは少ないでしょうが、これが反動して裏ではボロクソに言われるものです。対して外国人は頭からボロクソに言い、いないよりマシだが俺たちの足を引っ張るようなマネだけはするなと言われることもあります。反対に素晴らしい仕事をすればこれ以上ない褒め言葉で賛辞を送ってくるので両極端と言えば両極端なものです。
 スキルベースのゲームというのは和ではなく個で扱われる部類のゲームであり、確かにチームワークが必要な場面もあるものですが、最終的な責任は個に強く依存します。責任逃れをしたいもしくは誰のせいでもない、結果からこうなったんだという明確な責任の帰属が薄い日本社会ではこうした社会的な面から見るとスキルベースのゲームというものは、あまり発展せず衰退していくのではと思います。
 スキルベースのゲームが人気を博し増えていく昨今で、現在のスキルベースゲームはシステム的な問題、ネット環境問題など多く抱えているでしょうが、それらが解決された後、最終的に問われるのはこの問題だと思われます。現在スキルベースのゲームが素晴らしい、スキルベースなら誰もが対等だと謳っている人は最後に自分自身のスキルが足りなくても、システムが悪いなどと子供の八つ当たりのような愚痴を垂れないようにしてもらいたいものです。
※スキルベースゲーム
ここでいう”スキルベースゲーム”とはスキル値によって可能性が依存するUOやMoEのようなスキル値ゲームという意味ではなく、プレイヤーの瞬間判断、操作力に強く依存した自己操作量/判断力の試されるゲームです。
前述のスキル値依存ゲームでは時間をかけて徹底的なルーチンワークをすれば上げれますし、そんなものスキルゲームとは言えないと思います。

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