モラトリアム

 昨日の続き。
 では「D&D Onlineは遊ぶに足るゲームか?」と問われれば現状の自分にはNO。前述のような短期型MMOGの象徴のような存在になってる現在のD&D Onlineではやり込み型の自分にはゲームに対する信念の部分で合致しないものが多い。
 やっていると適当にクリックで剣を振り回してるだけでもこれがなかなか楽しい。例えるならTESシリーズ(Morrowind,Oblivion)やNWNをマルチで遊んでいるようなもんなので戦闘面ではワイワイ楽しく、それはもう過去にプレイした名ゲームと比較しても高いポイント評価が自分の中であるけれども、すでに私の友人の多くはMMOGから手を引いて銘々がそれぞれの人生というものと向き合ってる中で――きっと私が最後の人間なんだろうけれど――もうそういうのを遊べる友人がいない現状なんです。あと数年早くこうしたゲームがあればと非常に残念でなりません。
 「無いなら作ればいいじゃない」が私の信条なので、いざとなれば適当に新しい”ゲーム仲間”を開拓すればいいし、やろうと思えばやれないこともないんですが、このサイトのあちこちに書き散らしてるように私は非常に人間嫌いでその上ほとんどの”馴れ合い”と称する類のものを毛嫌いしています。よほど気が合わない限り他人と積極的なコミュニケートをしようとしません。そんな自分が数年掛けてようやく築いた友人たち。その年月に比較すると”次の仲間”というのは見つけるのは非常に難しく、またそんな自分の性格が功を奏してか、どちらかというと海外ゲームでも日本人の馴れ合いに入ることは無く、英語圏のプレイヤーに混じっているうちにますます日本人とのコミュニケートに疎くなり…というスパイラルに陥っているのが現状です。
 そもそも日本語版というゲームはユーザー数が日本に限定されるのでUS版と比較して分母の違いや嗜好の違いで――海外でファンタジーよりSFモノのほうが好まれるとしても――絶対的な数で採算が取れるとは思えず、そうした状況を限定する要素がEQ JEやEQ2 JEその他DAoC JEなどあらゆる国内翻訳版MMOGに当てはまる過疎状況を生み出しているものと思います。版権に加えて翻訳コストや運営コストを計上しても大多数の、それこそ国内のほとんどのプレイヤーが課金参加しないと、世界規模の分母を持つあちらには絶対的に数で勝てないでしょう。そうしたマイノリティによるマイノリティのための開発こそ様々なMMOGが国内で失敗している根本原因でしょう。つまり海外ゲームは海外サーバーでやらなければ長期的な視点ではもたないんです。私でも気付く”現状では日本でMMOGを運営するのは無謀”ということをなぜ国内企業が無視してるのかサッパリわかりません。挑戦的な意味合いで余裕のある企業がトライするのは結構ですが、それによって本来の海外プレイヤーがローカライズ版と分断されひいては本家海外版の足かせにもなりかねないのは看過できません。それなら予め海外版のオリジナルは開発の段階でプログラムコードを多国籍用にしておいて、オリジナルにチョクで翻訳コードを織り込みEQ2のような言語切り替え機能を盛り込んで本家運営したほうがいいと感じるのは私だけでしょうか。それとも技術的に難しいことでしょうか。
 D&D Online JEはそういう将来性の無さから、またはEQ2 JEの二の舞を恐れてかとにかく積極的なやる気というのは無いけれども、やるとしたら本家USに繋げばまだ一縷の望みはあるのかもしれない。少なくとも分家が潰れても本家が潰れるとは限らず、本家が潰れるときは分家も共倒れということで、しかしながら未だに本家が潰れたゲームというのはそう多くなく、希望的観測からどうせやるなら本家と決めています。
 有限な人間の寿命の中で、さらにゲームができる年齢を限定していくと少なくとも私より若く且つ私以上に様々なゲームをやっている廃人、その上で海外ゲームを好むという趣向を条件に加えると日本国内でも両手で数えるほどもいないでしょうし、そうなるとますます一匹狼にMMOGというのは向いてないんだろうと常々思っています。
ドンキホーテよ
あなたは騎士になりたいんですか?
それとも人間になりたいんですか?

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